教会の教師としての気持ち

【日々のレーマ】

コリント人への手紙第二7章9節
今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。

【追記】

コリントの教会には、不品行と不正の問題がありました。

そこで、パウロは、それら不品行と不正を厳しく戒める書簡を送っていました。

その戒めの書簡が、パウロの願い通りに実を結ぶかは、書簡を受け取った当人たち次第になります。

パウロにとっても、かなり厳しい書簡だったので、信徒たちのことが気が気でなかったようです。

もしかしたら、厳しく戒めたことが、信徒たちに害になっていないだろうか。

この箇所から、パウロが、教会の教師として、実に心配りの人だったことが分かります。

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結果として、コリントの信徒たちには、その厳しい書簡をもらったことがよかったのでした。

そのことを聞いて、パウロは、信徒たちを信じて厳しくしたことに安堵しました。

そのパウロの喜びを、冒頭の聖句で読んでみましょう。

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。(第二コリント書、7章9節より)

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いつの世も、教会の教師の悩みと喜びは同じでしょう。