主の栄光が去るとき

【日々のレーマ】

エゼキエル書10章18節
主の栄光が神殿の敷居から出て行って、ケルビムの上にとどまった。

【追記】

創世記では、ケルビムは【いのちの木】を守護する存在として登場します。

また、出エジプト記では、ケルビムの像は【契約の箱】の上に置かれます。

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いのちの木は、完成したアダム(すなわちキリスト)を象徴します。

契約の箱も、将来、地上に来られるキリストを象徴します。

そう考えると、主の御座を守ると言われるケルビムとは、主であるキリストの霊を守る存在かもしれません。

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このときのエゼキエルは、捕囚の地バビロンにあって、遠く離れたエルサレム神殿を霊視しています。

肉の目で見たエルサレム神殿とは別の、神様の目から見たエルサレム神殿になります。

エゼキエル書10章では、そのエルサレム神殿の敷居から、ケルビムが外へ移動することで。主の栄光が一旦去ったということです。

この当時においては、神殿の中で数々の不品行と不正が行われて荒廃を重ね、一方で選びの民の多くが捕囚の地に既に移っていたことが原因でしょう。

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こうしてエルサレム神殿をケルビムと共に去ったであろう、主キリストの霊は、エゼキエルたちが生活するバビロンの地、すなわち捕囚の民の元に向かったと思われます。