《神様(キリスト)を信じた》という信仰の原点

【本日のレーマ】

ガラテヤ人への手紙3章6節より
「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」

【追記】

信仰の祖と呼ばれるアブラハムの話です。

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《信仰》とは、《神様(キリスト)を信じる》ことです。

この《神様(キリスト)を信じる》という行為には、目に見えるかたちがありません。

この《信仰》を目に見えるかたちで確認しようとすれば、それが儀式になります。

つまり、儀式は、神を信じるという目に見えないかたちを、目に見える行事に代えたものです。

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目に見えるだけに、人の心は、その儀式のかたちに、とらわれます。

そして、儀式が過ぎれば、かたちあるものは時間と共に消えます。

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儀式は、信仰の伝統を継承する上で大切です。

ただ、儀式を通して目にみえたかたちが、儀式のすべてではありません。

《神様(キリスト)を信じた》ということが、儀式のはじまりであって、信仰の原点なのです。

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冒頭の聖句は、その信仰の原点を教えています。

「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。(ガラテヤ書、3章6節より)