出エジプトにみる信仰の型

【本日のレーマ】

コリント人への手紙第一10章4節
みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。

【追記】

使徒パウロは、出エジプトの歴史にさかのぼって、イスラエル民族の信仰を振り返ります。

私たちの先祖は、みな雲の下にいて、みな海を通って行きました。(コリント前書10章1節より)

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イスラエル民族は、エジプトという罪の世界を出て、カナンの地を目指します。

なんとなく、出エジプトと言えば、旅出のイメージですが、実際はそうではありません。

目指すカナンの地は、イスラエル民族にとって、未知の新しい土地ではありません。

カナンは、先祖アブラハムが神様から与えられて信仰を出発した土地であって、先祖が守った故郷なのです。

ですから、出エジプトは、新天地を開く旅ではなく、故郷に帰るという帰還の旅なのです。

そのため、途中の荒野において、大切なことがありました。

それは、エジプトで身についた悪習を捨て、失った本然の姿を取り戻すことでした。

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ここに、信仰の型が示されます。

信仰といっても、超能力で新人類に進化するといった似非進化論ではありません。

この世の悪習を捨て、失った本然の自分を取り戻すという、復帰の型の信仰になります。

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その復帰の過程において、重要なことがありました。

それが、モーセが岩盤に連なる岩から出した、生きたいのちの水を信仰の民が飲むことでした。

使徒パウロは、この生きた水を出す岩こそ、キリストだったと証します。

ここに、キリストを通して神様に帰還するという信仰の型が示されます。