誓う言葉がもつ危うさ

【本日のレーマ】

マタイの福音書5章36節
自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。

【追記】

当時の社会では、神や被造万物にかけて誓う習慣が、頻繁にあったのでしょう。

人が神様にかけて誓えば、どうでしょう。

もし人智を超えた神様の意志を知ったつもりで誓うなら、人として傲慢になります。

また、神様の意志をよく知らないのに、口だけで誓うなら、人として偽善や欺瞞になります。

イエス様は、人が神様にかけて誓うことを、次のように戒めます。

天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。(マタイ5章34節より)

天にかけて誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方にかけて誓っているのだ。(マタイ23章22節より)

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では、この地、祖国、たとえばエルサレムにかけて誓うことは、どうでしょう。

イエス様は、次のようにも戒めています。

地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。(マタイ5章35節より)

地上には、神様のご計画があります。そのご計画は、神様とキリストを除いては、誰も知りません。それなのに、地にかけて、人が誓うことはできません。

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そして、イエス様は、冒頭の聖句を語られます。

自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。(マタイ5章35節より)

自分の頭までも神様の所有ですから、すべてについて、安易に誓うべきではありません。

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神様とキリストによらずに、人が何かにかけて誓うことは、その何かが神ならぬものに奪われる遠因を作るかもしれません。言質になるということです。

イエス様は、そのような言葉の危うさを、次のように注意します。

あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。(マタイ5章37節より)

つまり、神様の御心が成るように思いながら、悪い者を近づけないように、然りは然り、否は否と言えるようになりましょう。