聖書にみる悪で悪を打つかたち

【本日のレーマ】

ハバクク書2章20節より
しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ、主の御前に静まれ。

【追記】

南ユダは、偶像崇拝などの悪行を積み重ね、民を虐げてきました。

その南ユダに、滅ぶときが来ます。

神様は、南ユダを滅ぼすのに、民の力は使いません。

神様は、暴虐で悪いバビロンの軍勢をもって、悪い南ユダを滅ぼすのです。

ここに、悪をもって、悪を滅ぼすという、聖書に何度も繰り返すパターンが見られます。

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もし、善をもって、悪を打っていたら、どうなったでしょう。

善は、悪への怨みに囚われることになって、悪に染まりかねません。

その典型が、フランス革命や、共産革命といった、地から湧く怨みが暴走した革命に見られます。

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そうして、主は、南ユダとバビロンのことをハバククに告げた後、こう言われました。

しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ、主の御前に静まれ。(ハバクク書2章20節より)

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悪を打ったからといって、悪が勝ち誇ってはいけません。

主が聖なる宮におられるのですから、全地は静まらなければなりません。