【本日のレーマ】
マタイの福音書16章4節より
悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。
【追記】
パリサイ派とサドカイ派の両方から、イエス様は天のしるしを求められます。
彼らは、イエス様がされた癒やしなどの数々の奇蹟を知っていたはずです。
それらの奇蹟を、彼らは、神の権威がなくてもできる、地上の魔術のように考えたのでしょう。
彼らが求めている天のしるしとは、モーセの時代の《紅海が割れる奇蹟》や、エリアの時代の《天から火が降る》ような奇蹟だったかもしれません。
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天のしるしを見せろとイエス様に求めることは、イエス様を第2試練で誘惑したサタンと同じ行為になります。
そのサタンに対するイエス様の答えは、『あなたの神である主を試みてはならない』でした。(マタイ4章7節より)
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そもそも、イエス様に出会って、天のしるしを求める理由はなんでしょう。
イエス様は、《悪い、姦淫の時代はしるしを求める》と嘆かれました。
悪い時代、多くの人は、目に見えるかたちで、イエス様がキリストか否かを確かめようとしました。
目に見えるかたちなら、信じられるという人間的な打算です。
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しかし、キリストの確信は、けして血肉すなわち人間的な打算からではなく、神様の方向を向くことで聖霊から得る悟り(強制でない自由責任)により得られます。
そのことは、マタイ16章の中に、こう書かれています。
シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。(マタイ16章15節~17節より)
ペテロの悟りには打算がなく、神の聖霊によるキリスト者の告白であって、それこそ幸いなる立場だったのです。