【本日のレーマ】
マタイの福音書10章25節
弟子は師のように、しもべは主人のようになれば十分です。家の主人がベルゼブルと呼ばれるくらいなら、ましてその家の者たちは、どれほどひどい呼び方をされるでしょうか。
【追記】
一般の師匠と弟子の関係であれば、弟子が師匠を超えることは、よくあることです。
師匠を超える弟子が出てこそ、その道が発展するからです。
冒頭の聖句は、それを否定する話ではありません。
ここで示されるのは、代わるものがないキリストの価値の話です。
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キリストは、神の権威をもって地上に来られます。
どんなに素晴らしい人であっても、そのキリストの価値である《神の権威》を超えることはありません。
そのことを、イエス様は、はっきりとこう言われます。
弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。(マタイ10章24節)
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しかし、その主人キリストは、分かったようなことを言う人から、悪霊のかしらベルゼブルと呼ばれます。
したがって、弟子やしもべが、その家の者であることを望むなら、それ以上のどんなひどい呼び方にも、こころが折れないようにしましょう。