【本日のリマ】
ゼカリヤ書13章7節
剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ──万軍の主のことば──。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。
【追記】
まず、エゼキエル書14章17節をみて見ましょう。
わたしがその地の上に剣をもたらし、『剣よ、この地を行き巡れ』と言って、人や家畜をそこから絶ち滅ぼすとき(エゼキエル書14章17節)
ここでは、神様の《剣》は、悪人に向かいます。身近な悪人から正しい人を守るためのことでした。
勧善懲悪になりますから、一般的な宗教の善悪観に合致します。
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しかし、冒頭の聖句は、ちがいます。さばきの剣が向かうのは、悪人ではなく、正しい人になっています。
神様が《わたしの羊飼い》や《わたしの仲間》と呼んでいるのは、キリストに代表される正しい人なのです。
神様が正しい人をさばくというのは、勧善懲悪から見れば、一見して不条理です。
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しかし、イエス様は、マタイ26章31節で、この聖句を、弟子たちに話します。
つまり、イエス様は、神様が正しい人をさばかれるという条理を、ご自分の身をもって示されたことになります。
それは、罪なきキリストであるイエス様が、罪人の代わりに十字架につかれるという、もう一つの条理があったということです。
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キリストに代表される正しい人が、悪人の代わりに罰を受けます。
救いようのない悪人を救うためと、甘受する気持ちからです。
そのことで、本来さばかれる立場にあった悪人を、感謝と悔い改めの思いで自然屈服させて、神の王国に入れるという、もう一つの条理になります。