神様がエルサレムを滅ぼす理由とは

【本日のリマ】

エゼキエル書34章31節
あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人間で、わたしはあなたがたの神である──神である主のことば。

【追記】

エゼキエル書34章では、神様が、捕囚の民に対して、エルサレムが滅ぶに至った理由を話します。

わたしの牧者たちはわたしの羊を捜し求めず、かえって自分自身を養って、わたしの羊を養ってこなかった。(エゼキエル書34章8節より)

わたしは牧者たちを敵とし、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。もはや牧者たちが自分自身を養うことはなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らの餌食にさせない。(エゼキエル書34章10節より)

このことから、神様が、エルサレムを滅ぼしたのは、エルサレムからわたしの羊(神の民)を救い出すためであったと分かります。

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もちろん、救い出された民は、慣れ親しんだエルサレムの地から出なくてはならず、バビロンに捕囚されることで新たな苦労を経験します。それは、過去の経験の通じないタイプの苦労だったでしょう。

若くて適応力があればよいのですが、先のない年寄りであればあるほど、我慢ならない状況です。

ここで、神様がエルサレムを滅ぼした、その先の未来も正しく知らないと、ただ神様を怨んで離れるかもしれません。

神様は、その先の未来のことについても、ちゃんと伝えています。

わたしは良い牧草地で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らの牧場となる。(エゼキエル書34章14節より)

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それでも、かつて失敗した人間です。再び過去と同じ失敗をするかもしれません。

神様は、人々が再び過去の失敗をしないように、注意もされています。

あなたがたは良い牧草地で草を食べていながら、それでも足りないのか。その牧草地の残りを足で踏み荒らすとは。澄んだ水を飲みながら、その残りを足で濁すとは。(エゼキエル書34章18節)

新しい環境でも、失敗を再び繰り返さないように、神様は注意されているのです。