のろわれた者への叱咤

【本日のリマ】

マタイの福音書25章41節
のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。

【追記】

冒頭の《のろい》は、イエス様のたとえ話に出ることばです。

聖書の中には、神様の側に立つ人物が《のろい》を口にする場面が、いくつかあります。

主のみわざをおろそかにする者は、のろわれよ。(エレミヤ48章10節)

主を愛さない者はみな、のろわれよ。主よ、来てください。(コリント第一16章22節)

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これらの《のろい》は、愛なる神様と矛盾しないのでしょうか。

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神様は、愛なる神様である一方で、義なる神様でもあります。

創世記1章によれば、神様は、創造のたびに、万物に善し(good)という義を与えられました。

人は、その神の義を知って生きれば、神様のもとで天地人が味方して、本意である自由な人生を送ります。

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一方、神の義を知らないために、放縦に生きれば、どうなるでしょう。

神の義にしたがう天地人の流れに逆行し、思わぬ障害にぶつかるために不本意な人生になります。

その不本意な人生こそ、《のろい》になります。

そのように考えると、勝手に《のろい》が人に降りかかることはありません。

神の義を知らないために、人が《のろい》を招いているのです。

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さて、神様は、黙示録でこのようにいわれています。

わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。(黙示録3章19節)

神様が、愛する者に叱咤されるという話です。

そのことを踏まえると、冒頭の《のろい》のことばも、愛するがゆえに、神の義を知りなさいと叱咤されているのだと分かります。