死からの復活について

【本日のリマ】

コリント人への手紙第一15章49節
私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

【追記】

パウロは、コリント第一の15章の中で、《死からの復活》を、詳しく説いています。

ここで、聖書の中に、意義の異なる《二つの死》が登場することに注目しましょう。

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最初の人アダムは、神様からこう言われます。

善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章17節)

しかし、善悪知るの実を食べたアダムは、食べたそのときには、死にませんでした。

アダムの土で造られた体は、合わせて930歳まで生きました。(創世記5章5節を参照)

その通りであるなら、善悪知るの果実は、とんでもなく時間がかかる遅効性の毒だったことになります。

しかし、神様の戒めは、ほんとにそんな気の長い寿命の話だったのでしょうか。

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神様の戒めであった《その木から食べるとき》の原語「べヨーム」は、その日一日(日の出から日没まで、または日没から次の日没まで)を指します。寿命の尽きるまでの比喩ではありません。

さらに、《あなたは必ず死ぬ》の箇所は、死ぬという原語「モート」を二重に重ね、必ずきっと死んでしまうことを、これでもかと強調しています。それは神様にとって一大事だからです。

そこで気づくことは、善悪知るの実を食べたその瞬間に、アダムが、蛇であったサタンの主管圏内に堕ちたことです。

この状態を、生物学的な肉的死と区別するために、堕落が人間にもたらした死として、霊的死と呼びます。

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このように堕落したのちも、アダムの土で造られた人のかたちは、そのままで長寿を全うします。

しかし、アダムの中の、天に属する人のかたちは神様のものです。堕落するアダムの中に残ることはできません。

そこで、神様は、堕落する前にアダムから霊の体を引き上げ、堕落する前の無原罪の人として神様の右側に置かれました。その神様の右側から来られたイエス様は、罪を起こす前の無原罪のアダムになります。

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人には自由責任がありますので、どんな考えも人に強制できません。それを間違えれば、神様から遠いカルトになってしまいます。

そこで、この考えを最初に明かされた文鮮明師の書をご自分で探してくださるとよいと思います。

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ここで、パウロが説く《死からの復活》を、生物学という神様の創造の秩序に反せずに解釈できるか考えます。

パウロが説く《死からの復活》は、サタンの主管圏内、すなわち霊的に死んだ土のからだから、天に属する方のかたちを持つことだと理解することが、腑に落ちる解釈であると考えられます。