受け入れる思いがあるなら

【本日のリマ】

マタイの福音書11章14節
あなたがたに受け入れる思いがあるなら、この人こそ来たるべきエリヤなのです。

【追記】

イエス様は、洗礼ヨハネが、エリヤの再臨だとはっきり言われています。

しかし、洗礼ヨハネは、自分がエリヤの再臨であることを自覚できませんでした。。

マラキ書4章5節には、《主の大いなる恐るべき日の前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす》という預言があります。

預言者エリヤは、火の戦車と火の馬が現れて、天に上っています。(列王記二2章11節を参照)

イエス様の当時の人々は、昇天したエリヤが、エリヤの姿のままで天から再び降りてくるはずと、エリヤ再臨の場面を期待したかもしれません。

・・・

しかし、イエス様がエリアであると言われた洗礼ヨハネは、そのエリヤ再臨の期待とは違って、母の胎から赤ん坊として誕生したのです。

冒頭の聖句で、イエス様は《あなたがたに受け入れる思いがあるなら》と言われています。

この言葉から、イエス様の再臨を待つ立場において、何を学ぶことができるでしょうか。