隣人に真実を語り、公正をもつ

【本日のリマ】

ゼカリヤ書8章16節
これがあなたがたのなすべきことだ。あなたがたはそれぞれ隣人に対して真実を語り、真実と平和をもたらす公正さをもって、あなたがたの門の中でさばきを行え。

【追記】

ゼカリヤ書第8章は、バビロン捕囚から開放された選びの民が、エルサレムへ帰還した時代です。

神様は、ゼカリヤを通して、捕囚前には災いを下したが、これからは幸いを下すと、新しい時代の幕開けを告げます(ゼカリヤ8:14-15参照)

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そして、冒頭の聖句です。ここで主の言葉として『これがあなたがたのなすべきことだ』として、次の願いが託されます。

あなたがたはそれぞれ隣人に対して真実を語り、

真実と平和をもたらす公正さをもって、あなたがたの門の中でさばきを行え。

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このエルサレム帰還の時代から570年ほどを経て、選びの民はイエス様のエルサレム入城を迎えます。

そのとき、神様の願いどおりに、エルサレムの地で《選びの民が隣人に真実を語り》かつ《真実と平和をもたらす公正さのさばき》が行なわれていたら、どうだったでしょうか。

選びの民は、イエス様を十字架にはつけることはなかったでしょう。(エルサレム入城からわずか5日後に、選びの民はイエス様をさばいて十字架につけます)

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後に、十字架による贖罪(福音)を説いているパウロにおいても、こう言っています。

この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。(コリント第一2:8)

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イエス様が十字架について語られるのは、公生涯の後半です。それも福音としてではなく、人間たちの無知による不幸な出来事として語られています。

しかし、十字架による贖罪の恵みを重んじてきたために、そのことはあまり知られていません。

イエス様は、公生涯の始まりにおいて『神の御国(原語は王国)』の福音を説いていました。そのことも知りたいと思います。