《善悪を知る木の果》とは

【本日のリマ】

マルコの福音書7:23
これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。

【追記】

パリサイ人は、イエス様の弟子の何人かが、汚い手でパンを食べたことを批難しました。

それに対して、イエス様は、食べ物は人の心には入らないのだから、人を汚さないと言われました。

このことから、創世記においてエバが食べた【善悪を知る木の果】が、エバを汚したのではないことが分かります。

冒頭のイエス様の聖句によれば、人を汚すものは、心の内から生じる動機に由来します。

すると、エバを汚したのは、人間として未熟なエバの心に生じた動機と、動機による行動です。

もしも【善悪を知る木の果】が堕落の直接の原因になるなら、親なる神様はそんな危険なものを近くに置きません。

【善悪を知る木の果】は、神様によって、食べてはいけないと大切に育てられていたものを指します。

それほど大切な【善悪を知る木の果】とは、エバが主の花嫁として完成した後にアダム(の中の神様)に捧げる愛のことです。

その大切な【善悪を知る木の果】が、神様のもとから直前に奪われてしまったことが堕落の顛末だったと分かります。