《要石》か《つまずきの石》か

【日々のリマ】

ペテロの手紙第一2:7-8
したがってこの石は、信じているあなたがたには尊いものですが、信じていない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」のであり、それは「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからであり、また、そうなるように定められていたのです。

【追記】

ペテロが言っている《石》とは、キリストのことです。

ここで、ペテロは、《石》に例えるキリストについて、次のイザヤ書および詩篇の聖句を引用します。

見よ、わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことがない。(イザヤ書28:16)

家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった。(詩篇118:22)

これらの聖句では、石(キリスト)は、人々の試みを経て、捨てられるだろうという聖書の警告になります。

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この石(キリスト)は、信じる者には尊い要石(かなめいし)になるのです。

要石とは、家の柱を支える重要な石のことです。

地震や台風といった試練に会うとき、家が耐えることができるかはこの要石で決まります。

その一方で、聖書の警告にある通り、石(キリスト)は信じない者に捨てられ、つまずきの石になります。

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人間の姿で地上に来られるキリストの価値を知ることは、困難です。

地上の肉眼では、人間の姿をされたキリストの価値(神性)を見ることができないからです。

まして、その石(キリスト)が捨てられるとの聖書の警告を知らない立場で、無責任に流布される噂が耳に入ってしまえば、なおさらでしょう。

石(キリスト)の価値が分からないままに捨ててしまい、つまずきの石になるということです。

キリストに出会うために、この地上の試練に耐えた人が、キリストの価値を知ることができるのかも知れません。