全き心に近づく

【日々のリマ】2023年2月10日(金)

歴代誌第二25:2
彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。

【追記】

南朝ユダの9代目の王アマツヤの話です。

【全き心をもってではなかった】とはどういうことでしょう。

一言でいうと、二心(ふたごころ)ということになります。

歴代誌第二の25章から、そのアマツヤの二心をみていきましょう。

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まず、アマツヤは、自分の父を討った家来たちを殺します。

これは、アマツヤがまずやりたかったこと、復讐です。

一方、アマツヤは、その家来の子供は殺しません。それは、律法に「人が死ぬのは自分の罪過のためであって、親の罪過で子が殺されてはならない」とあるからです。

勝手な想像ですが、アマツヤ自身の判断というよりも、周囲が強力に止めたのではと思われます。

律法に従順で主の目にかなうことをしながら、アマツヤの復讐心は納得していない(全き心でない)といったところでしょう。

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続いて、アマツヤは、自分の国(南朝ユダ)の兵士30万人を集めます。

さらに、アマツヤは、隣国の北朝イスラエルから兵士10万人を銀100タラントで雇います。

しかし、周囲の人から止められます。

北朝イスラエルは偶像崇拝に堕したために神様が共にいない。そのため、北朝イスラエルの兵士がいたら神様は味方しないと止められるのです。

そこで、アマツヤは、北朝イスラエルの傭兵を国に返すことになります。

主の目にかなうことをしながらも、アマツヤの自我は納得しなかった(全き心でない)でしょう。

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アマツヤは、南朝ユダの兵士だけを連れて、セイルの敵に勝利します。

一方、傭兵たちは、解雇に怒って、牙を剥きます。

傭兵たちは、南朝ユダの町を襲って、三千人を殺し略奪行為をするのです。

主の目にかなう勝利を得ながらも、アマツヤの心は納得しなかった(全き心でない)でしょう。

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この辺りから、アマツヤは神様に反抗します。

アマツヤは、戦利品としてセイルの神々(神ならぬ偶像)を持ち帰り、それを伏し拝むようになるのです。

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ここまでで、何がわかるでしょう。

アマツヤは、自分がやりたいこと(自我)がいつも先にあります。

そのために、神様の期待(御心)に心から納得できません。

自我が強いことは突破力として良い面もありますが・・・

アマツヤの話からは、神様の御心と自我が葛藤すると、結果が良くない方向に進むことも分かりますね。

神様の御心の通り、つまり全き心になれば、どうでしょう。

肩の力が抜けるように葛藤が収束します。平常心になって結果が良くなります。

全き心に近づきましょう。