知らないときにキリストを知ること

【日々のレーマ】2022年12月20日(火)

マルコの福音書8:28
彼らは答えた。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人たちや、預言者の一人だと言う人たちもいます。」

【追記】
イエス様が、弟子たちに「人々はわたしをだれだと言っていますか」とお尋ねになっています。

弟子たちは、「洗礼ヨハネや、エリヤや、預言者の人」と答えます。

さらに、イエス様は弟子たちがどう言っているのか尋ねます。

総領弟子であったペテロは「あなたはキリストです」と答えます。

イエス様は、自分のことを誰にも言わないように、彼らを戒めます。

なぜ、神の王国の福音を宣べ伝えていたイエス様が、ご自身がキリストであることを隠されたのでしょう。

現代において、イエス様がキリストであることを疑う人は少ないでしょう。

しかし、イエス様の当時、人々はキリストが地上に来ていることをまだ知りません。

その状態で、ペテロはイエス様こそキリストであると自ら悟りました。

キリストが地上に来たとき、キリストが誰かはペテロのように知ることになります。

知らないときに強制されては、その人の自由意志(人間の責任)を奪うことになるからです。

知らないときにキリストが誰かは、その人の自由意志(人間の責任)において求め、そして真理の御霊を受けて知ることになります。