【日々のレーマ】2022年12月10日(土)
ガラテヤ人への手紙2:19
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。
【追記】
パウロの書簡です。
「私が死にました」を、文字通りに読むと意味不明になりますね。
パウロは、このとき生きているのですから。
どうやら、パウロが言う【私】は、神様が創造されたままの私のことではありません。
私の中の【エゴ】のことのようです。
パウロは、イエス様と出会う以前、つまりサウロの頃、厳格に律法を守って生きていました。
その頃のパウロは、その律法で【エゴ】を徹底的に無くした(死んだ)と思っていたでしょう。
パウロにとって、律法以上の救いはないと。
しかし、律法の先には、さらに上のものがありました。
キリストが、私の【エゴ】が原因で、十字架につかれたということです。
パウロは、自分の【エゴ】が、罪なきキリストと共に十字架について死んだ(霊的には贖罪)と。
その事実に至るのです。
ただし、【エゴ】が死んで終わりではありません。
古い自分が死んだ後、新たに生まれ直したということです。
そのことは、パウロの次の書簡からも分かります。
コリント第二5:17【ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。】