【日々のレーマ】2022年12月7日(水)
ガラテヤ人への手紙2:5
私たちは、一時も彼らに譲歩したり屈服したりすることはありませんでした。それは、福音の真理があなたがたのもとで保たれるためでした。
【追記】
パウロの書簡です。
パウロが譲歩も屈服もしなかった相手とは、割礼派の人たちでしょう。
彼らは正義感ゆえに、異邦人に割礼を強要していました。
パウロの考えは、ローマ2:25-29によればこうです。
神様は、イスラエルの民が放縦による罪に染まらないよう、律法を授けました。
割礼とは、その律法によって神様の教えを守るという、イスラエルの血の契約です。
割礼をしても、律法を守らなければ何にもなりません。
そもそも神様との契約を反故にしたら、割礼は外見上の古傷に過ぎず、無割礼の者と変わりません。
ローマ2:26 【ですから、もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、その人の無割礼は割礼と見なされるのではないでしょうか。】
では、キリストによって導かれた人は、割礼の代わりは不要になったのでしょうか。
ローマ2:29【御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。】
パウロは【心の割礼】だといいます。【外見上のからだの割礼】よりも大切なものです。
この考えは、パウロが初めてではありません。そもそも旧約聖書に既にありました。
申命記30:6【あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し】
人は、外見上の割礼に囚われて他人の称賛を求めても、何にもなりません。
心の割礼(信仰)を持って神様に立ち返ってこそでしょう。