【日々のレーマ】2022年11月23日(水)
哀歌2:5
主は、敵のようになって、イスラエルを吞み込まれた。そのすべての宮殿を吞み込み、その要塞を破壊し、娘ユダにうめきと嘆きを増し加えられた。
【追記】
旧約聖書の哀歌は、バビロン捕囚の前後の時代になります。
娘ユダ、つまり南朝ユダは、敵国バビロンに打ち滅ばされます。
南朝ユダの民には、艱難の期間です。
哀歌第1章~第2章は、民の悲惨の状況が詩歌として綴られます。
民にうめきと嘆きの声が増し加えられたとあります。
ところが、哀歌第3章になると、その詩歌のテーマが、民自身の深い後悔に変わります。
人々は、艱難を与えていたのが、目の前の敵ではなく、主であったことに気づいたのです。
主による艱難であれば、艱難の原因が、敵バビロンではなく、私自身の咎だったと気づくのです。
この後悔による悔い改めが、哀歌第3章~第5章と後代につながる希望です。
数十年の時を経て捕囚の民がエルサレムに帰還します。
その帰還した民の系譜からイエス様がお生まれになるからです。
艱難は、民が正しくないから起こりました。
しかし、艱難は生かすためであって、滅ぼすためではありませんでした。