神知らぬゆえの頑なさ

【日々のレーマ】2022年10月29日(土)

エレミヤ書44:25
あなたがたは、天の女王に犠牲を供えて彼女に注ぎのぶどう酒を注ぐという誓願を、必ず実行すると言っている。

【追記】
バビロン捕囚によりエルサレムは荒廃します。
そのエルサレムに残された人々、その一部がエジプトに寄留するようになります。

エジプトにおいて、彼らは、天の女王(神ならぬもの)に対する偶像崇拝を再開しました。
エレミヤは、その人々に、今のままでは滅びることを宣告をします。

それでも、彼らは、その偶像崇拝をやめられないと、開き直ります。
開き直る理由はなんでしょう。

彼らの言い分はこうです。
かつてエルサレムの地で偶像崇拝をしていたとき、繁栄があった。それが忘れられないと。

分かりやすく例えるなら、神を忘れて、偽りの繁栄という美酒に酔っていたいという状態です。
それゆえに、エレミヤの言葉を頑なに聞けないのです。

しかし、人は、頑なな状態を長く続けられません。それは神様と天地すべてに対して不自然ですから。
もしも人が頑なさを少しでも感じるなら、それは本然の位置に戻って神を知るべきチャンスだと思います。