【日々のレーマ】2022年10月19日(水)
ルカの福音書19:24
そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナをこの者から取り上げて、十ミナ持っている者に与えなさい。』
【追記】
イエス様のミナの譬えです。
ある身分の高い人(イエス様)が遠い国にいきます(昇天)。それは王位を授かって再び戻ってくるため(再臨)でした。
その主人はしもべ10人に対して、1ミナ(100万円ほど)を等しく与え、自分が戻る(再臨する)まで、これで商売をしなさいと言います。
しばらくして、主人が王位を授かって帰ってきたとき(再臨のとき)、1ミナを10倍に増やした者は、主人に褒められて10の町を任されます。1ミナを5倍に増やした別の者も、主人に褒められて5の町を任されます。
一方、主人の厳しさを恐れて1ミナをそのまま持っていた者は、主人から叱られます。
主人は、その者から1ミナを取り上げて、10ミナを持っている者に与えよと言います。
よく似た譬えに、タラントの譬え(マタイ伝25章)があります。
こちらは、主人が3人の能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラント(6000万円ほど)を与えます。
タラントは、人それぞれに違うもの、例えば、才能や、体力や、使命や、事業や、金銭や・・といったもの、総じて言えば《外的な何か》でしょう。
一方、ミナは、10人に等しく与えられます。
ミナは、人として等しく与えられるもの。心情や、愛や、信仰や、み言や・・といったもの、総じて言えば《内的な何か》でしょう。
どちらの譬えも、イエス様は何かを言われません。
お一人お一人が良心に感じる、そのとき一番ぴったりと来るものをタラント/ミナと考えればよいと思います。
いずれにしても、人には、神様キリストから信じて託されたものがあるということです。
人それぞれの信託を、発展させたり、増やしたり、育てたりすることは、楽しいことであり、醍醐味だと考えられます。
そこから、神様キリストと歩む人生における生き甲斐が生まれると思います。