自分を正義にすることは、神様を下僕にする傲慢

【本日のレーマ】
2022年7月23日(土)

アモス書 1.8

わたしはアシュドデから、王座についている者を、

アシュケロンから、笏を持っている者を断ち滅ぼす。

わたしはエクロンにわたしの手を向け、

ペリシテ人の残った者を滅ぼす」

と神である主は仰せられる。

【追記】

アモスは、司祭などの位置ある者ではなく、牧者の一人でした。

その一介の者が神様の言葉をイスラエルの町で伝え始めました。

まず、アモス書1章は、イスラエルに敵する近隣国の司たちへの裁きです。

イスラエルの人々は、自分の敵に対する神の裁きに拍手をしたでしょう。

正しいのは自分たちイスラエルだと。神は私たちの味方だと。

しかし、それは神様を自分の下僕にする考えでした。

続くアモス書2章は、イスラエルにも同じ背きの罪ゆえに同じ裁きがあると語るのでした。

イスラエルに対する神様の言葉です。

2.6 【彼らが金と引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。】

2.7 【彼らは弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げ、】

2.8 【彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った着物の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を彼らの神の宮で飲んでいる。】

正しいのは自分ではなかったのです。自分たちを正義にすることは、神様を下僕にする行為だったのです。

私が正しいのではなかったのです。

神様とキリストが正しいのです。

私は、破綻者を生んだか、破綻者を見て見ぬふりをしたものです。不幸の連鎖の原因は誰かの責任ではなく私でした。

私の悔い改めから出発することが次の一歩になります。