終わりのときに嘲る者たち

【日々のレーマ】

ペテロの手紙第二,3章3節
まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、

【追記】

初期キリスト教会は、明日キリストが再臨されるかもしれないと待ち続けていました。

そのため、ペテロたちがたとえ苦難の道に立たされようと、来るべき主の日のため教えを保ち続けました。

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しかし、その日を待つことができず、否定する人たちが出てきます。

その人たちは、かつて一緒に歩んだ人の苦難を嘲って、こういうかも知れません。

「まだ、やっているのか」

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ペテロは、そんな時代の彼らの言葉をこう伝えています。

まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」(ペテロ書第二,3章3節から4節より)

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彼らのこのセリフの中に、嘲る彼らの生きざまがあらわれています。

まず、彼らは、創造の主である唯一なる神様を、わざわざ【父たち】と複数形にします。

多神教のように複数形にすることで、唯一なる主の存在をぼかします。

その上、主は眠りについたとして、自分たちと主との間を断ち切ります。

そうして、昔も今も自分たちは変わらないと本心を偽り、知らないふりをします。

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ペテロは、彼らが見落としている事柄を、こう教えます。

天は大昔からあり、地は神のことばによって,水から出て、水を通して成ったのであり、そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。(ペテロ書第二,3章5節から6節より)

ここでペテロが語るのは、ノアの洪水です。

当時、いつか洪水が来ると聞きながら、人々は山の上に箱舟を作るノアをあざけりました。

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さらに、ペテロは、イエス様のあとの時代について、このように預言します。

今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。(ペテロ書第二,3章7節より)

主のみことばによって取っておかれ、その日まで保たれているとは、どういうことでしょう。

ペテロは、こう教えています。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(ペテロ書,3章9節より)

主の日の約束は、神様の都合で遅れているのではありません。

ペテロは、約束の日が人間の都合によって遅れているのであり、神様は忍耐して待たれているというのです。

それは、主の日を迎える前に、だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを、神様が望んでおられるからということです。