もし感謝のために、それを献げるのなら

【日々のレーマ】

レビ記,7章12節
もし感謝のためにそれを献げるのなら、感謝のいけにえと一緒に、油を混ぜた種なしの輪形パンと、油を塗った種なしの薄焼きパン、さらに、油を混ぜてよくこねた小麦粉の輪形パンを献げる。

【追記】

冒頭の聖句は、感謝のための捧げ物の規定です。

【輪形パン】とは、ドーナツやベーグルに近い食べ物でしょうか。

【薄焼きパン】とは、ナンやホットケーキに近い食べ物でしょうか。

そのようにイメージして読むのも、レビ記を興味深く読むための助けになります。

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これらの材料は、小麦などの作物ですから、いずれも神様から頂いた大地の産物です。

イエス様のたとえにも、旅に出た主人が、農地を任せた農夫から分け前をもらおうとする話があります。

そのたとえの形式と考えれば、神様が人の物を奪うわけでは、ありません。

神様が与えた作物の一部を神様に感謝としてお返しすることで、残りの作物を神様から正式にいただく形式になります。

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また、神様に捧げるにあたって【種なし】のパンとは、発酵菌なしという外的な意味だけではありません。

ここでの【パンのたね】とは、神の体であった人間の肉体に、アダムが加えた罪の種を象徴します。

そのため、最後のアダムであるキリストの祝福を受けるまでは、罪の種が混じらない聖物を保つという気持ちをあらわします。

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いずれの場合も、ここでの捧げ物は、感謝のためですから、強制されて行うものではありません。

もし自由意志によらず行うなら、それは感謝ではありません。

また無理があれば、損失の思いが残ります。

人に損失の思いがあれば、神様は奪ったことになるので、感謝の気持ちとして受け取ることはできないでしょう。

人にとって、無理なく、自らの自由な意志で行うことが、感謝の捧げ物には大切です。