【日々のレーマ】
ヨハネの福音書5章18節
そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。
【追記】
なぜ、ユダヤ人は、イエス様を受け入れられず、殺そうとまでになったのでしょうか。
長い旧約の歴史を振り返るなら、ユダヤの民は、多くの預言者たちを迎えています。
ユダヤの民全体は、一部の例外を除いて、預言者を丁重に扱っています。
彼ら全体は、神から授かった律法によって鍛えられた、信仰的な民族だったのです。
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もし、イエス様が、過去の預言者と同じように振る舞っていたなら、ユダヤの民全体がイエス様を殺そうとしたでしょうか。
もとから信仰的な彼らです。イエス様を預言者として受け入れることも可能だったでしょう。
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しかし、イエス様は、過去の預言者たちと決定的に違う点がありました。
それは、イエス様が、ご自身を神の子とし、神様と等しい権威をあらわされたことでした。
過去の預言者たちの中に、自身を神の子とし、神様と等しい権威を持つと言った人は、いなかったのです。
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世界の歴史を見ても、偉大な人生の師たる人物は沢山登場します。しかし、その立派な人物の中で、自身を神の子、神様と等しい権威をもつと言った人はいないのです。
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ここで、現代の視点にたってみましょう。
現代のキリスト者にとって、イエス様がキリストであることは、当然のことです。
目からうろこどころか、誰も疑わない信仰的な常識です。
イエス様について正解を知った立場のキリスト者にとって、イエス様が自身を神の子、神様と同じ権威を持つと、たとえ眼の前で言ったとしても、違和感はないでしょう。
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しかし、正解を知らない当時のユダヤ人にとって、初めて迎えたキリストであるが故に、イエス様が語る神の権威は常識に反することでした。
ユダヤ人の信仰的な常識に照らせば、イエス様は、過去の預言者とは異なって、神を冒涜する人物となったのです。
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自分が正しいと確信して、ほかの人々を見下せば、目にうろこが入った常識に囚われています。
イエス様が、再臨のキリストが人の子として来るとき、はたして地上に信仰が見られるだろうかと言われたのは、そのことの事前の警告なのです。(ルカ書、18章8節を参照)