【本日のレーマ】
ローマ人への手紙8章10節
キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
【追記】
使徒パウロは、《キリストがあなたがたのうちにおられるなら》と、キリストの内在を説きます。
このキリストの内在については、例えば次のように、様々な解釈があります。
(1)文言通りに、キリストの霊が私たちに内在すること。
(2)キリストと三位一体である神の霊(聖霊)が私たちに内在すること。
(3)キリストの福音(み言葉)を私たちが実体化すること。
これら解釈は、どれをとっても、高度で難しい神学的な秘儀だと思うかも知れません。
しかし、これら解釈の共通項は、《私たちが、キリストと共に生活する》ということです。
このように生活で考えると、《キリストがあなたがたのうちにおられる》として、パウロが言いたかったことは、特別な霊的な秘儀ではなく、キリスト者として自然にあるべき生活のことだと腑に落ちます。
ここで、パウロが言う《あなたがた》を《一人ひとり》と読むなら、これはキリストによる一人の人格の成長です。
また、《あなたがた》を《人の集まり》と読むなら、これはキリストによる家族や社会の発展です。
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次に、パウロが言う《からだは罪のゆえに死んでいても》とは、どういうことでしょう。
人は、肉的には生きていても、アダムの罪ゆえ生じた堕落性に支配され、霊的に死んでいるという事実です。
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ここまでのことで、パウロが言う《御霊が義のゆえにいのちとなっている》は、もう明確です。
想像しましょう。もしも、あなたがキリストに出会っていなければ、偽りの堕落性を自分と思って、自らをいつわる不義な生活を送っていたでしょう。
しかし、人がキリストに出会ったからこそ、堕落性の支配から脱して、神様の創造本性に目覚めます。そして、本来の義なるいのちに立ち帰っていることに気づくのです。