キリストを否定しても気づかない民

【本日のレーマ】

ローマ人への手紙10章18節
では、私は尋ねます。彼らは聞かなかったのでしょうか。いいえ、むしろ、「その響きは全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた」のです。

【追記】

イエス様の時代、その福音は、多くの人の耳に届きました。

ロマ書10章は、《その響きは全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた》といいます。

ただ、福音が《耳に届いた》と、《心に届く》とでは、違います。

イエス様の福音は、古代イスラエルの人々の心にまで届きませんでした。

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続いて、ロマ書10章は、こう問いかけます。

では、私は尋ねます。イスラエルは知らなかったのでしょうか。まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者たちであなたがたのねたみを引き起こし、愚かな国民であなたがたの怒りを燃えさせる。」(ロマ書10章19節より)

申命記32章21節からの引用です。

主の祝福が異邦人へ向かうことで、主の民はねたみと怒りを抱えるだろうという、モーセの言葉です。

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さらに、ロマ書10章は、こう続きます。

また、イザヤは大胆にもこう言っています。「わたしを探さなかった者たちにわたしは見出され、わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した。」(ロマ書10章20節より)

イザヤ書65章1節からの引用です。

重ねて、主の民の外へ、主の摂理が向かうことが宣告されます。

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そして、ロマ書10章は、こう締めくくります。

イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」(ロマ書10章21節より)

主の目的は、キリストを地上に迎え、神の王国を建設し、万民を救うことでした。

主は、そのために、主の民がキリストを迎えるよう、終日にわたって手を差し伸べ、主の民に祝福を与えました。

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しかし、そのことで、主の民は、自分たちは他とはちがう、主から守られる特別な存在だ、と傲慢な勘違いをしたかもしれません。

それも、キリストが彼らの元におられたからのことに過ぎません。

今の今、そのキリストを否定する立場に立ち、不従順で反抗する主の民は、主の目に特別なものではありません。

このたびの敵は外にはいません。

キリストを否定しても気づかない過ちが、彼らを自滅させようとしています。