幸いなことよ、主を自らの神とする民は。

【本日のレーマ】

詩篇144編12節より
私たちの息子らが 若いうちから よく育てられた植木のようになりますように。 私たちの娘らが 宮殿にふさわしく刻まれた 隅の柱のようになりますように。

【追記】

詩篇144編は、ダビデによる祈りの詩篇です。

ダビデは、異国人の敵を前にして、わが岩なる主に祈ります。

敵は、聖なるものを捧げるはずの右の手で、不正なものをかき集めます。

不正のために、彼らの口は、主に対する嘘で塗り固められています。

罪を自覚したくない彼らは、主の目を避けます。

その罪の恐怖から逃れるため、彼らは物言わぬ偶像にすがるのです。

それは、《主の目を避けて罪に恐怖する人生》です。

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ダビデは、そんな異国人の影響から離れて、自分たちが解放されることを、熱心に祈ります。

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このダビデの祈りは、目の前の勝利のことだけに留まりません。

ダビデの視点は、ここから大きく飛躍して、未来の子孫へ向かいます。

私たちの息子らが、若いうちから、よく育てられた植木のようになりますように。私たちの娘らが、宮殿にふさわしく刻まれた、隅の柱のようになりますように。(詩篇144編12節より)

そして、ダビデの祈りは、平安な気持ちに至り、主への感動で締めくくられます。

幸いなことよ、このようになる民は。幸いなことよ、主を自らの神とする民は。(詩篇144編15節より)

このように、詩篇144編からは、《主を自らの神とする幸せな人生》が見えてきます。