柔和で平和な主にあって、悪と戦う姿

【本日のレーマ】

ゼカリヤ書10章3節~4節より
万軍の主は、ご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場の威厳ある馬とされる。
この群れからかしら石が、この群れから杭が、この群れから戦いの弓が、この群れからすべての指揮する者が、ともどもに出て来る。

【追記】

ゼカリヤ書10章は、捕囚の民が帰還したエルサレムにあって、やがて来られるキリストを預言しています。

万軍の主は、ユダ族の家を訪ねられます。キリストであるイエス様は、このユダ族の家に誕生されます。

そのユダ族の一群は、戦場の威厳ある馬の群れにたとえられます。

その一群とともどもに、キリストであるイエス様が立たれます。

そのイエス様は、《かしら石》や、《天幕の杭》や、《戦いの弓》のしるしで象徴されます。

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続いて、ゼカリヤ書は、イエス様の一群について、こう預言します。

 彼らは勇士のようになり、戦場で道端の泥を蹴散らして戦う。主が彼らとともにおられるからだ。彼らは馬に乗る者どもを辱める。(ゼカリヤ書10章5節より)

ここでのイエス様は、戦うキリストのお姿です。

キリストが戦うといっても、バビロンやペルシャのように、国や民衆を敵にして戦うわけではありません。

ゼカリヤ書の《馬に乗る者ども》とは、この世の人々を霊的に支配する勢力(サタン)のことです。

この悪なる霊的勢力と断固として戦って、人々を開放するというキリストの姿になります。

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現代で、イエス様といえば、柔和で平和な方という印象を多くの方がもつでしょう。

しかし、ヨハネ2章13~17節を読めば分かるように、イエス様は、むちを使って、神殿内の商売人たちを追い出しています。

イエス様を柔和で平和な人とだけ信じようとすれば、このヨハネ2章の箇所を読み飛ばすことになります。

しかし、柔和で平和なキリストに、もう一つのお姿があります。

この宮清めのイエス様が示すように、悪なる霊的勢力に対して、敢然と立ち向かうキリストの姿です。

この悪と戦うキリストのお姿を、しっかり知ることも大切です。