【本日のレーマ】
ゼカリヤ書3章1節
主は、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。
サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。
【追記】
バビロンから開放された捕囚の民は、エルサレムの故郷へ帰還します。
しかし、エルサレムは、ソロモンの頃の栄光の都ではありません。
エルサレム神殿は、バビロンによって壊されたままに放置され、荒廃して見るかげもありません。
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サタンは、主の前に、そのことを讒訴するために現れます。
サタンの攻撃対象は、エルサレム神殿を再建することになる大祭司ヨシュアです。
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大祭司ヨシュアは、神殿の再建に汗を流すため、土まみれだったのでしょう。汚れた服を着た姿です。
世が世なら、絢爛豪華な権威ある法衣を着ているはずの大祭司が、です。
サタンは、その汚れた姿を見て、これが大祭司かと嘲笑したことでしょう。
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主も、大祭司ヨシュアの姿を見て、こう表現しています。
この者は、火から取り出した燃えさしではないか。(ゼカリヤ書3章2節より)
燃えさしとは、焼け焦がれてボロボロで、何も所有しない者という意味でしょう。
しかし、大祭司ヨシュアが燃えさしであったことが、サタンからの讒訴に功を奏します。
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ヨブ記を、思い出してみましょう。
ヨブは、サタンによって、主にある生命それ以外のすべてを奪われました。
主は、ヨブがすべてを失った後でなければ、救いの手を差し出すことができませんでした。
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しかし、大祭司ヨシュアは、ヨブとはちがって、主にある生命以外に何も所有しません。
大祭司ヨシュアにとっての財産といえば、神殿の再建に共に汗を流す仲間の民ぐらいだったでしょう。
その民たちも、主にある生命以外に何も所有しないのです。
そのため、サタンは、大祭司ヨシュアから、奪うものがありません。
主は、大祭司ヨシュアに対して、すぐに救いの手を差し出すことができました。
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まず、主は、まぼろしの中で、大祭司ヨシュアから咎をのぞいて、礼服とターバンを授けて着せます。
エルサレム神殿を再建する大祭司ヨシュアに対して、主の大祭司たる正当な権威を授けたのです。
そうして、主は、大祭司ヨシュアに、エルサレム神殿を再建した後のずっと先の未来を見せます。
それは、再建されたエルサレムの地に来るべき、キリストによる祝福の預言(とき)でした。