霊肉二元論(グノーシス主義)という、だましの哲学

【本日のレーマ】

コロサイ人への手紙3章1節
こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。

【追記】

神様は、天地を創造され、霊も肉もどちらも聖なる善きものとして造られました。

しかし、コロサイの教会には、霊を一方的な善とし、肉を一方的な悪とする霊肉二元論(グノーシス主義)の考えが大手を振っていました。

そのグノーシス主義は、神ならぬ霊的存在(天使やサタン)を聖なるものと崇め、その霊的存在によって人間を支配するという、偶像崇拝になりました。

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このようにして、キリストの教会にありながら、唯一なる神様とキリストを見失わせるのがグノーシス主義でした。

このグノーシス主義に囚われる人は、神様とキリストを求めなくなって、霊的には勝手放縦に振る舞って堕落し、肉的には極端な禁欲に走って破滅します。

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使徒パウロは、このグノーシス主義を【むなしいだましごとの哲学】だとして、こう注意します。

それは、人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。(コロサイ書2章8節より)

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そうして、冒頭の聖句につながります。

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。(コロサイ書3章1節より)

神様の生きたすがたであるキリストによって救い上げられた人々は、この世のもろもろの霊を求める必要はありません。上におられる神様とキリストを求めましょう。