【本日のレーマ】
ハバクク書2章4節
見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
【追記】
預言者ハバククは、主なる神様から、バビロンを用いて、悪なる南ユダを打つ計画を聞きます。
ハバククは、そのことが不条理に思えてなりません。
バビロンは暴虐の国であって、南ユダよりもっと罪深いからです。
いくら南ユダが悪くても、それ以上に不義なるバビロンを使って、南ユダを打つのは不条理だと。
ハバククは、その不条理から、神様の義に対して疑問をいだきます。その疑問を神様に問います。
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ハバククは、主に問うて、激した気持ちを静めるように、物見やぐらに立ちます。
そして、砦全体をしかと見渡します。
果たして、私の訴えに主は、なんと答えられるだろう。
その主の答えを受けて、私はどう応じるべきだろう。
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すると、主は、ハバククの疑問に答えられます。
これから見せる幻を板の上に書き記して、確認せよと。
主が示した答えは、悪なるバビロンが滅びるということでした。
板の上に書き記したのは、そのことがすぐに実現しないからです。
この先の数十年後にバビロンが滅んだとき、その板を読んだ子孫が主の計画を知るためです。
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人間は、目の前で起きたことで正義を考えます。そのために、目の前では不条理と思われることがおきます。
そこから神様を推し量る人間には、神様は不条理な方と見えてしまいます。
人間は、このような正義に合わないことは理解できません。そのため、目に見えない神様から気持ちが離れ、目に見えて物言わぬ偶像(神ならぬもの)にすがります。
しかし、神様は、もっともっと長い時間のご計画の中で、悪を裁かれて、義を成し遂げられます。
だから、深い意味において、神様は、怒るに遅い方です。
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まず、今だけ見て神様を不条理と思わず、もっと長い時間の中で神様の正義が成し遂げられると、考えましょう。
それゆえに、主は、ハバスクをこう諭します。
見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。(ハバスク書2章4節より)
人は、心騒いで、大声を出していては、神様を見失います。
心を落ち着けてこそ、神様のなされることを知って、信頼して生きることができます。
そうしてこそ、正しい人はその信仰によって生きることになります。