【本日のレーマ】
アモス書7章2節~3節
そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「神、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
主はこれを思い直された。そして「そのことは起こらない」と主は言われた。
【追記】
アモスは、神である主によって、地の青草を食い尽くすほどの大群のバッタが準備されたことを、幻に見ます。
地の青草が食べ尽くされれば、大地の収穫はなくなり、飢饉になります。
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アモスは、もともと北イスラエルの人間ではありません。南ユダの出身です。
そのため、ここ北イスラエルのベテルの地では、よそ者でした。
飢饉になれば、故郷に帰ることができました。
神様は、そのよそ者のアモスに幻を見せることで、隣人によるとりなしを期待されたのだと思います。
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アモスは、隣人として、北イスラエルの人々のために、神様にとりなしをします。
「神、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」
なぜ、アモスは、わざわざヤコブの名を出したのでしょう。
ここ北イスラエルの民は、その源流をたどれば、神様が祝福したヤコブの子孫につながるからです。
この時代の北イスラエルは、神ならぬ偶像崇拝に支配されています。
そのため、北イスラエルは、国全体として、神様を見失っています。
しかし、その北イスラエルの民には、神様が祝福したアブラハム・イサク・ヤコブの血が流れているということが大切です。
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神様は、北イスラエルの人々が忘れているヤコブの名を、アモスの口から聞きたかったのでしょう。
アモスのとりなしを受けた神様は、大群のバッタによる飢饉を取りやめることにします。
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旧約聖書には、神様が悪人に罰を与えて滅ぼす話が沢山書かれています。そのため、怖いと感じる人もいるでしょう。
しかし、隣人のとりなしによって赦すことを、神様は願われていると感じます。
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(※おまけの話)
日本語訳聖書の多くは、大地に甚大な害をもたらす昆虫を、日本人の稲作に馴染みが深い《いなご》と訳してきました。
確かに、いなごは、稲を食べる害虫です。しかし、田んぼの稲を食い尽くすことはありません。
聖書が書いている昆虫は、大量に発生して、遠くまで飛翔する能力を持ち、空を覆うように広い範囲を移動しながら、大地を食い尽くす虫のことです。
このような虫の害(いわゆる蝗害)を起こすのは、サバクトビバッタなど、群生相に変化する一部のバッタのことです。
いなごをイメージして聖書を読むと、蝗害の恐ろしさが分かりません。ここは、空を覆うほどの大群のバッタと読み替えましょう。