【本日のレーマ】
マタイの福音書27章4節
「私は無実の人の血を売って罪を犯しました。」しかし、彼らは言った。「われわれの知ったことか。自分で始末することだ。」
【追記】
イエス様を裏切ったイスカリオテのユダは、イエス様が死刑になると知って後悔します。
後悔したユダは、「私は無実の人の血を売って罪を犯しました」と、祭司長と長老に告白します。
この告白からは、一人で抱えきれないほどの良心の呵責が感じられます。
ユダは、イエス様を捕まえた同罪者に話すことで、共感を得て、良心の呵責から逃れたかったのかも知れません。
しかし、仲間からの返事は、薄情で突き放すものでした。「われわれの知ったことか、自分で始末することだ」でした。
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次に気になるのは、「無実の人」という、ユダの言葉です。
その言葉からは、イエス様のことを、無実の人。すなわち、人として見ていたことが強く感じられます。
会計係を任され、この世の知恵にも長けていたユダです。
イエス様に香油を注いだ女に対して、その無駄を咎めた動機のユダです。
神様の、みこころの通りに動くイエス様と、それに合わせて動く周囲のことを、ユダは、もっぱら人間の目と感情で見ていたように感じます。
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ユダのつまずきから、信仰について考えましょう。
無形で、目には見えない神様や、天国のキリストを信じることは、綺麗事を想像すれば、たやすいことではあります。
しかし、そこまでなら、信仰として幼く、空想のおとぎ話の世界にとどまります。
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もしも、目に見えるかたちで、生身の人間をまとわれた神キリストが、目の前に立っていたらどうでしょう。
当時のユダ、そしてユダヤ人たちがつまずいたように、そのときこそ、本当の信仰が問われます。
すなわち、神様の御こころの通りゆえに、人間の目には理解できない、キリストの姿を受け入れることができるようにです。