【本日のリマ】
コリント人への手紙第一12章13節
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
【追記】
ここで、パウロは、人々が聖霊を受けるとどうなるかを説いています。
まず、聖霊は、この世に、あまたいる複数の霊のことではありません。
唯一なる神様から来ますから、聖霊も唯一なる存在です。
まずその点で、この世の霊現象と区別されます。
・・・
聖霊を受けた人は、みな同じ一つの聖霊を受けるのです。
しかし、聖霊を受ける側は、同じ人はいません。
そのため、その同じ一つの聖霊でありながら、その人の個性や責任分担に応じて、違う働きとなります。
その働きには秩序があって、全体の益となるように、聖霊が働くことになります。
そのため、同じ一つの聖霊であるのに、ある人には知恵の言葉として、ある人には信仰のちからとして、癒やしのちからとして、となるわけです。
・・・
そこで、パウロは、人それぞれに対する聖霊の働きを、人間の体に例えています。
目や鼻や口は、一つの体にありながら、他が代われない一番の働きをそれぞれ持っています。
同じく、聖霊を受けた人々も、キリストの一つの体において、他が代われない一番の働きをそれぞれ持つのです。
・・・
そのことを知れば、キリスト者を、どんぐりの背比べのように一律に考えたり扱うことはできません。
聖霊によって、キリストの体の一部として、それぞれが他が代われない一番の働きをするように活かされていると、お互いに考えましょう。