安息日を守る意味

【日々のレーマ】2022年9月15日(木)

レビ記 26:35-36
地は、荒れ果てている間、休むことができる。

【追記】
レビ記26章は、イスラエルの将来についての予定です。
神様との契約違反を繰り返した場合、イスラエルが外国に捕囚されることが示されます。
契約違反、つまり捕囚になる理由は、偶像を崇拝したことと、安息日を守らなかったことの二つです。

一つ目の偶像崇拝の蕩減条件(赦しの条件)として、捕囚になった民は、あえて異教の地(バビロン)にあって、偶像崇拝から遠ざかるべしという試練を受けるわけです。

二つ目の安息日を守らなかった蕩減条件(赦しの条件)として、捕囚になった民は、故郷イスラエルの地が耕作されずに荒れ果てる(地は安息する)という試練を受けるわけです。

ここで、二つ目の安息日を守る意味について考えてみましょう。

亨進牧師は、安息日について【神に礼拝を捧げる日です。また家族でくつろぐ日です。神様と家族とくつろぐ日だということです】と語られています。(2016年1月10日英語説教)

もしも、人間が地上生活で活動(仕事や家事や勉強やスポーツ)に一杯一杯になって、安息日がなくなるとどうなるでしょう。

私たちは、神様にちゃんと向き合わず、家族ともちゃんと向き合わなくなります。
そうなると、私たちには、人間としての様々なひずみが生じます。

そこで、安息日を守って、神様に礼拝をする時間、家族と神様や一人一人について話す時間が大切です。
安息日は、私たちに蓄積する様々なひずみを解消するために、とても善いことです。
こう考えると、安息日は、神様にだけ大切なことではなかったと分かりますね。

また、安息日を守ることで、残りの日にも良い変化が現れます。
安息日を週1で取るためには、地上生活を区切りよく目途(計画)を立てることになります。
そうなれば、地上生活の活動(仕事や家事や勉強やスポーツ)にメリハリがつきます。
生活に良いリズムができて余裕も生まれて、地上生活がより円滑になります。

そう考えると、安息日を守ることは、神様と私たちにとって、大切な意味がいくつもあると分かります。

安息日に、神様に向き合って、家族とも向き合うという、くつろぎの時間を大切に持ちましょう。