【日々のレーマ】2022年8月19日(金)
ヨブ記 41.12
我また彼者(かのもの)の肢體(したい)とその著しき力とその美しき(うるわしき)身の構造を言わでは惜かじ(文語訳聖書から引用)
【追記】
冒頭の聖句(12節)は、レビヤタンという巨大なワニのような魔物についてです。
8節には【手をこれにくだし見よ。さらばその戦闘をおぼえて再びこれを為さざるべし】とあります。
さらに、この章の最後である34節には【是は一切の高大なる者を軽ろんず誠にもろもろの誇り昂ぶる者の王たるなり】とあります。
レビヤタンは、これほどにまがまがしい存在です。
人間が近づいてはいけない危険な存在です。
このような存在が人間に対して現れるのは、どんなときでしょうか。
過去の人間歴史を振り返ってみましょう。
そこには、良心をもつ人間には到底考えられない大小の事件があります。
ホロコーストのような戦争犯罪・・
世相を騒がす残虐な事件・・
人間の尊厳を失う覚醒剤など・・
このような事件は、人間が近づいてはいけないものに近づいた結果です。
では、危険なのに、身の破滅なのに、なぜ近づくのでしょうか。
怖いものなしだからです。
怖いものなしになってしまう理由は、神様を忘れて高慢に生きているためです。
ヨブ記は、ヨブに対して人間の弱さ無力さを徹底して教えます。
さらに、ヨブ記は、人間ではどうしようもない危険な魔物の存在まで解説します。
そこまで言われれば・・
神様を忘れて高慢に生きるべきでないこと。
謙虚になって危険なものに近づかないことが、ハッキリとします。
なおそれでも、私たちの内面から近づいてくる鬼神にはどうしたらよいでしょう。
亨進牧師のこちらの説教が力になります。
ファンクラブさんのブログhttps://h2fanclub.blogspot.com/2021/06/21623_28.htmlをご覧ください。
(補足1)もし創造主である神様ご自身が魔物を解説すれば、魔物に創造本然の価値を与えて、復帰の道が閉ざされます。そのため、ヨブに語るのは、神様に体を貸す存在(天使?)の口と考えられます。
(補足2)今回の聖句は、新改訳聖書(旧版)は異なる解釈であったため、文語訳を引用しました。