キリストによらずして、神の権威は語れない

【日々のレーマ】

エレミヤ書,29章31節より
わたしはシェマヤを遣わさなかったのに、シェマヤはあなたがたに預言し、あなたがたを偽りに拠り頼ませた。

【追記】

祭司のシェマヤは、エルサレムの民全体と、全ての祭司に対して、宣告の手紙を出します。

それは、預言者エレミヤを、悪い預言をする、気が触れた者と、宣告する内容でした。

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すると、神様は、当の宣告を受けた預言者エレミヤの側に臨まれます。

そこで、主なる神様が言われたことが、こうです。

わたしはシェマヤを遣わさなかったのに、シェマヤはあなたがたに預言し、あなたがたを偽りに拠り頼ませた。(エレミヤ書,29章31節より)

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ここで問題なのは、シェマヤは、主の言葉を受けたと偽って、主の名で宣告をしたことです。

つまり、シェマヤは、自分が考えたことに、神の権威を後付けして、語っていたのです。

祭司の地位にあるシェマヤは、自分には、当然に神の権威をもって語る資格があると思っていたでしょう。

また、神の権威をもって語れば、人々は自分の言葉の通りになると、習慣的にそうしていたのでしょう。

しかし、シェマヤが神の権威を立場上もつと考えたこと、それ自体が大きな間違いでした。

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なぜなら、神の権威を持つ御方は、天地にただお一人キリストのみだからです。

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一方、この地上世界において、地位や権威を持つ人は、沢山いるでしょう。

そんな権力者は、言うならば、昼の神のような存在といえるでしょう。

しかし、地上にどんな地位や権威をもとうと、神の権威まではもっていないのです。

唯一、キリストのみが、主なる神の権威をもつのです。

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したがって、教会にあっても、主キリストによらずして、神の権威を語ることは一切できないのです。