【日々のレーマ】
民数記,24章17節
私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。
【追記】
神様からバラムに臨んだ、キリスト預言です。
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私には彼が見える。(民数記,24章17節より)
バラムには、神様と共におられるキリストが見えています。
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続けて、バラムのキリスト預言です。
しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。(民数記,24章17節より)
地上にキリストがお生まれになるのは、バラムの時代ではなく、ずっと先になります。
しかし、バラムには、キリストのお姿がはっきりと見えています。
すなわち、キリストは、地上に産まれてキリストになるのではありません。
地上に産まれる前から、キリストとして存在するのです。
箴言8章によれば、キリストとしての【わたし】は、天地創造の前から、神様と共におられます。
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続けて、バラムのキリスト預言です。
ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみを、すべてのセツの子らの脳天を打ち砕く。(民数記,24章17節より)
ここでのヤコブ、すなわちイスラエルは、キリストたるイエス様を地上に迎えるための基台です。
キリストを地上に迎えるため、イスラエルの祖であるアブラハム・イサク・ヤコブは、神様から特別な祝福を受けたのです。
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逆にいえば、キリストを迎えるにふさわしくない者は、たとえイスラエルに生まれても、断ち切られる運命です。
そのため、イスラエルは、数々の戦争や捕囚を通じて、時代時代で選別された民でした。
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現代においても、およそ2千年ぶりにイスラエルという国ができました。
しかし、現代のイスラエルは、ユダヤ教の立場において、イエス様を拒絶したままです。
その現代イスラエルが、イエス様を拒絶したまま、神様からの特別な祝福を受けることはないでしょう。
それは、イスラエルの特別な祝福が、キリストとしてイエス様を迎えるという前提で、神様が与えた祝福だからです。
古代イスラエルで繰り返された負の歴史をみれば、現代イスラエルの歴史が見えてきます。
そう考えると・・・
時代の恩恵として、世界に平和が来るのは、多くの人々がキリストを受け入れたときかもしれません。