【日々のレーマ】
ヨブ記,3章25節
私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。
【追記】
ヨブに不幸が襲い、ヨブの家族が奪われます。
さらに、ヨブの肉体まで、やまいに襲われます。
そして、妻からは非難され、責められます。
それでも、ヨブは、我が身の不幸を神に呪わず、罪におちいることはありませんでした。
・・・
そのヨブの元を、心配した三人の友が訪ねます。
三人の友は、ヨブを慰めようと、互いに打ち合わせて来ました。
しかし、家族を奪われて、やまいを受けたヨブの姿は、簡単な言葉で慰められません。
三人の友は、ヨブの心身ともの痛みを知って、声をあげて泣き、ただただ悲嘆にくれたのです。
・・・
しかし、三人の友が泣くという、人間的な同情にふれることで、ヨブは人が変わります。
ヨブは、いきなり不安を感じ始めるのです。
そして、ヨブは、焦燥にかられた末に、自分は産まれない方がよかったと、絶望を口にします。
・・・
こんなに強い不安や焦燥感は、どこから来たのでしょう。
ヨブは、次のように言っています。
私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。(ヨブ記,3章25節より)
ヨブを襲った不安や焦燥感の正体は、ヨブのこころを支配する【恐れ】だったのです。
・・・
当初のヨブがそうであったように、人は不幸の中でも、神様とキリストに向き合うことで、自分を前向きに強く保つことができます。
一方、そんな強かったヨブが、【恐れ】に支配されることで、いきなり絶望します。
このように、人は、【恐れ】に支配されることで、強い不安や焦燥感から逃れられなくなります。そして、絶望するのです。
・・・
ここで学ぶべき大切な点は、【恐れ】に支配されないということです。
たとえ自分は弱くても、神様とキリストにしっかり向き合うことで、自分を前向きに強く保つことができます。
【恐れに支配されるな】です。