老人たちは大声をあげて泣いた

【日々のレーマ】

エズラ記3章11節~12節より
主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。

【追記】

バビロン捕囚から開放された民は、エルサレムへと帰還します。

荒廃して見る影のないエルサレム神殿をまず再興しなければなりません。

エズラ記3章の9節によれば、その神殿建築の中心メンバーは、帰還民の指導者たちではありませんでした。

息子や孫たちの世代、すなわち若者がリーダーになって、神殿建築を始めたのです。

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若者らの働きによって、主の神殿の礎が据えられたとき、かつてダビデ王が定めたしきたり通りに、ラッパやシンバルを鳴らして、主なる神様への感謝を捧げました。

このとき、帰還民の多くは、感謝と歓喜の声をあげ、一緒に主を賛美しています。

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しかし、一部の者は、そうではありませんでした。

それは、過去のエルサレム神殿を伝え知る老人たちでした。

このとき、老人たちは、嘆きの気持ちから、大声をあげて泣きました。

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異様な対比です。

若者たちは、現在進行形の神殿よりも、未来に完成する神殿を見据えて、歓喜したのです。

一方、老人たちは、現在進行形の神殿を、過去の神殿と比較して、嘆いたのです。

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イエス様がこの地に誕生される未来を知れば、このときの若者たちは正しかったと分かります。

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いつの世も、老人たちは、過去からの批判者になるべきではなく、若者たちの未来を応援すべきという教訓になっています。