【本日のレーマ】
マラキ書1章2節より
「わたしはあなたがたを愛している。──主は言われる──しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。
【追記】
神様は、《わたしはあなたがたを愛している》という事実を話されます。
しかし、人間は我が身に起こる不幸を通して、神様の愛そのものを不信します。
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そこで、神様は、エサウの子孫エドム人のことを振り返ります。
しかし、このマラキ書には、エドム人が滅んだという末路しか書かれていません。
そのため、神様が《あなたがたを愛している》とは、一見して真逆になってしまいます。
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聖書の難読箇所の一つですが、それは、マラキ書しか読まないための誤解になります。
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創世記36章を読めば、エドム人が繁栄していたことが分かります。
申命記2章を読めば、神様がエドム人を守ろうとした様子が分かります。
このように、神様は、エドム人のことを愛しておられます。
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それなのに、エドム人が滅んだのは、なぜでしょう。
神様が、滅びを予定したから滅んだのではありません。
滅びの末路は、エドム人が、あくまでも自由意思で選択したことになります。
(例えば、エドム人は、親戚であるイスラエルが他国に侵略されて弱るたびに、火事場泥棒のような暴虐をはたらいています。)
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神様が、人間の運命をすべて操って予定していると思うと、不幸を神様の責任だと感じてしまいます。
しかし、人間には自由意思があるので、不幸を神様の責任にできません。
愛している神様を裏切って悲しませているのは、人間になります。
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神様の責任にして怨んでしまうと、お門違いのために、不幸の連鎖から逃れられません。
そこから脱出するために、《わたしはあなたがたを愛している》という神様を信じてみましょう。