神の王国の《国民》とは

【本日のリマ】

ヨハネの福音書6章15節
イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた。

【追記】

イエス様は、大麦のパン五つを増やして、五千人に与えるしるしを行われました。

このしるしに、群衆は歓喜します。

歓喜した群衆は、イエス様を王に祀りあげようとします。

しかし、イエス様は、その群衆から離れ、ただ一人で山に退かれます。

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イエス様は、《神の王国》の福音を宣べ伝たえるために、地上に来られました。(ルカ4章43節より)

日本語訳は《神の国》ですが、原語は《神の王国》になります。

実際に、総督ピラトの前で、イエス様はご自分が王であることを認めています。(ヨハネ18章37節より)

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しかし、冒頭の出来事は、その逆になります。

群衆が王に祀りあげようとしたのに、イエス様はそこから離れています。

その理由は、何だったのでしょうか。

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イエス様は、先にサタンから試練を受けた際に、申命記を引用してこう答えています。

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。(マタイ4章4節より)

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冒頭の群衆は、イエス様がパンを増やしたしるしに驚き、敬服しています。

この敬服の念から、イエス様を王に祀りあげようとしました。

しかし、このときの群衆は、パンを求めても、神の口から出る一つ一つのことばを求めていません。

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もしイエス様だけで《神の王国》ができるなら、宣言(福音)するだけで《神の王国》は成就したでしょう。

しかし、イエス様が王になるだけでは、《神の王国》はできません。

《神の王国》には、国民も必要だからです。

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冒頭の群衆は、《神の王国》の国民になれなかったことになります。

では、どうすれば国民になれたのでしょう。

総督ピラトの前で、イエス様がいわれた言葉が、その参考になります。

ヨハネの福音書18章37節から引用します。

そこで、ピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのか。」

イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。」

「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。」

「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」

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この言葉から、イエス様が証しされる真理に属することが、《神の王国》の国民に必要なことと思われます。