不適格な者に見えても、善を行ってもらいたい

【本日のリマ】

コリント人への手紙第二13章7節
 私たちは、あなたがたがどんな悪も行うことのないように、神に祈っています。それは、私たちが適格であることを明らかにしたいからではなく、私たちが不適格な者のように見えたとしても、あなたがたに善を行ってもらいたいからです。

【追記】

現代であれば、イエス様の正しさは、多くの人が教会や聖書を通して知ることができます。

しかし、当時の人にとっては、イエス様は十字架で死刑になった罪人でした。

そのイエス様を、来るべきキリストと証しすることは、どれほど大変だったでしょう。

初期キリスト教会も、罪人のイエス様をかしらとする不適格な者たちのように見えたようです。

そのことは、現代では、信じられないことかも知れません。

しかし、パウロ自身も含めて、初期キリスト教会の指導者の多くが、牢屋に入って死刑の道を辿っていることから、悲しい歴史なのです。

その上、パウロにとって、コリントの教会内部には、キリストによらない誤った信仰を教える者たちがいて、心配な要素もありました。

そこで、パウロは、不適格者に見えて社会から無視されたとしても、あなたがたに善を行ってもらいたいと、心からの願いを神様のメッセージとして伝えているのです。