【日々のレーマ】2022年9月13日(火)
コリント第一 6:13
「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある」と言いますが、神は、そのどちらも滅ぼされます。からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。
【追記】
こちらの聖句、食いしん坊の人はよく読んでください。
ここでは、からだを肉身と霊人体に分けて考えます。
まず、肉身の面です。
【食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある】とは、生活の知恵です。
テレビでは大食い番組が楽しいですが、大食いは特殊能力ですから普通の人がまねてはいけません。
大切なことは【健康のため腹八分目でやめておけ】です。
若い頃はエネルギー消費が大きいので腹一杯食べて大丈夫でしょう。
しかし、年を重ねれば、エネルギー消費が低くなります。
エネルギー消費が低いのに、自分の腹が若い頃と同じだと厄介です。
腹八分目で丁度よしとセーブしましょう。
次に、霊人体の面です。
【主のためにあり、主はからだのためにおられる】について考えます。
原理講論にはこうあります。
【生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである(創造原理)】
霊人体の心(生心)は、神様の聖霊が臨在する場です。
大切なお客さんを迎えるために、私たちは部屋を掃除します。
同じように、大切な神様を迎えるために、私たちは霊人体を善化したらよいです。
ではどうやったら、霊人体を善化できるでしょうか。
原理講論にはこうあります。
【肉身の善行と悪行に従って、霊人体も善化あるいは悪化する(創造原理)】
肉身で善行をするに従って、霊人体は善化するということです。
善行とは、地上の生活における愛の実践のことです。
パウロも、同じことをこのように言っています。
コリント第一 6:13【からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。】
神様が、人間のからだを造られたのは、人間が淫らな行い(悪行)をするためではありません。
からだは、地上で善行(愛の実践)を行うことによって、霊人体が善化する。これが、【からだは主のためにある】ということだと思います。
そして、霊人体の生心に神様の聖霊が臨在することを、神様は願われておられます。これが【主はからだのためにおられる】ということだと思います。
地上の生活における愛の実践を【一日一善】ということわざで心に刻んでみるのもよいかと思います。