【日々のレーマ】
ヨシュア記,4章7節
ヨルダン川の水が主の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。
【追記】
出エジプト記の14章によれば、モーセが手をかざすと、紅海が左右に分かれて水の壁となります。
左右の壁に挟まれた海底には、乾いた地面があらわれます。
モーセたち選民は、その乾いた地面を渡って、約束の地に向かいます。
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モーセの後継者であるヨシュアの時にも、同様のことがヨルダン川で起こります。
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ヨルダン川は、刈り入れの季節にあって、どこの川岸も水が溢れていました。
そのヨルダン川に、契約の箱が入ると、川の水が止まったのです。
神様がモーセのときにしたように、川の上流のはるかかなたに、水の堰を立ち上げたのです。
ヨシュアたち選民は、その乾いた川底を渡って、約束の地に向かいます。
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これらの奇蹟について、よく考えてみましょう。
当然のことですが、モーセもヨシュアも、人間の立場で,これらの奇蹟を予め計画していません。
モーセもヨシュアも、目の前で起きた奇蹟をみて、予想も想像もしなかった奇蹟に驚いているのです。
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このように、奇蹟は、人が、予め計画して起こすものではありません。
人が予め計画したなら、それは人間の動機です。神様・キリストの動機ではありません。
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神様の動機であるからこそ、冒頭の聖句に登場する石は、人々が代々まで神様のみわざを讃えて記憶する記念になったのです。