神の《さばき》の意味

【日々のレーマ】2022年10月24日(月)

詩篇99:4
王は力をもって さばきを愛する。 あなたは 公正を堅く立て さばきと正義を ヤコブの中で行われた。

【追記】
さばきを愛する》という聖書訳は、さまざまな誤解を招くかもしれません。

まず、神の《さばき》を、人間同士の《さばき》と一緒にするのは誤解です。
人間同士の《さばき》は、マタイ7:3の方で、イエス様が注意しているからです。

マタイ7:3 【あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。】

また、《さわらぬ神に祟りなし》という人は、《さばきを愛する》という神様を暴君と誤解します。
神様は暴君なのか、他の聖書訳も見てみましょう。

文語訳聖書は《審判をこのみたまふ》と訳します。
KJV英語聖書は《loveth judgment》と訳します。

どちらの神の《さばき》も、【公正な判決】という意味があります。
一方的に罰っする暴君の《さばき》ではありません。

それから・・
裁かれること自体を罰や恥のように思う人も、この聖句を誤解します。
神の《さばき》は、万人が受けるものだからです。

ここまででよくお分かりのように、
《さばき》とは、神の御力によって万人が公正な判決を受けるということです。

人は、逃げずに真正面から神様に向き合うことが大切です。
そうすれば、神の《さばき》を通して、公正な人になれたという誇りを持てます。

もしも、神の《さばき》から逃げれば、我が身がサタンの手中に入るかもしれません。
そうなれば結末は推して知るべしです。サタンは人の結末に責任を取りませんから。

ここまで来ると、神様の公正な《さばき》に感謝して向き合えます。